僕がスイカを作るワケ

こんにちは!

そーゆー農園、農園主の中野そういちと申します。

今回は僕が農業を始めたきっかけ、
そしてスイカに行き着いたわけを話させてください。

スイカも田舎も大嫌い!

スイカ栽培は祖父母していました。

当時はまだJA合併前で「下原スイカ」というブランドスイカをつくっていました。

当時かなり高価で取り引きされておりトラック1台出荷したら、いい時で100万円と言われていたらしいです。

そんな高級スイカとは知らない当時小学生の僕は

夏休みは畑で収穫など手伝わされました。

一玉7〜10キロもあるスイカを子供が扱えるわけもなく落として割ってしまい、

ものすごい剣幕でおじいちゃんに叱られました。

それが嫌で当時はスイカが大嫌いになりました。

田舎も嫌いで畑なんかなくなってビルが沢山建てばいいのにとよく妄想していました。

サラリーマン時代

農作業にまったく興味のなかった当時の僕は、東京に出たりして、数年前まで普通にサラリーマンをしていました。

しかし、仕事や人間関係、全てがうまくいかない時期があり、思い悩み日々が続きました。

「自分の存在価値って何なんだ…」

「このままの気持ちで仕事を続けていて、全力を尽くして人生生き切ったと一片の悔いも残らず死ねるのか」

自問自答を繰り返す日々でした。

そんなある日、休日に実家の農作業を手伝っていた時のことです。

1人で黙々と作業をこなしていると、ふと気持ちが無の状態になりました。

夏の暑い日だったこともあり、滝の様な汗を流し、休憩に土手に座って一気に飲み干した炭酸飲料のうまさ。

そして、目の前に広がる広大な畑と北アルプスの風景。

信州松本、波田という自分が生まれ育った場所の素晴らしさを感じました。

松本市 波田 スイカ農園

今まで味わったことのない充実感を全身で浴びました。

悩み苦しんでいた時だからこそ、実感することができたのでしょう。

この充実感は今でも鮮明に思い起こせるほどの衝撃でした。

思い起こせばこの体験こそ、農業を始める根っこの部分でのきっかけだったと思います。

農業を独学で学ぶ

その後、しばらくはサラリーマンを続けながらも、農業への思いが日に日に強くなり、農業や経営の事を本やネットで情報を集め知識をつける事に没頭していきました。

ありがたい事に、家は代々農家で、空いていた農地があったため、

その一部を借りて、野菜作りをすることにしました。

初めて作った野菜は無農薬の小松菜でした。

収穫したてを家に持って帰り、

「これパパが作ったんだー」

少し自慢げに息子に見せると

当時2才半の息子が生のままボリボリと音をたてて食べ出しました。

正直焦りました。

まだ土がついてるかもしれないし無農薬だから虫がもしかしたらついてるかも
でも息子はお構い無しに食べ続け、1株食べてしまいました。

感想は…

「うん、おいしいじゃん」

今の息子は覚えてないらしいですが、この出来事も自分の中では忘れる事ができません。

松本市 波田のスイカ

自分が自分や家族の為に作った野菜をその家族がおいしいと言って食べてくれる。

心が喜びと充実感に満ちた感じでした。

サラリーマンをしながら休日は家庭菜園程度の農地で研究し

1年後、脱サラして専業農家として自営業を開始することにしました。

周年多品目栽培(何種類もの野菜を年間通して栽培)から始めて直売所メインで出荷をしていました。

ただ農業は少しの知識や経験ではじめからうまくいくような甘い世界ではありません。

直売所は出荷に行くとお店の人やお客さんと話ができて野菜の味の感想を聞く事ができたり、売れる工夫を試行錯誤してみたり…。

長くなるので、このあたりの話はまたの機会に。

 

僕が作りたいのはやはり、小さいころから見慣れたこの景色の中にいつもあったスイカ。

大人になってからは大きな夢など語ったことはなかった僕ですが、今は、この自分が生まれ育った信州波田のスイカを、日本中、いや世界中の皆さんに食べてもらいたいと思っています。

そーゆー農園/中野そういち

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「そーゆーすいかって、どーゆーすいか?~おいしさのわけ~」